交響的変容を聴いて 投稿者:九鬼さまのHPより 投稿日:2004/02/23(Mon) 17:39 No.6

交響的変容のCDを聴かれた”九鬼さま2の ご自身のHPにかかれた感想を紹介します。

12/4
  水野修孝(1934?)の怒濤の超大作「交響的変容」全4部作の全曲初演CDを入手。 これはものドすごい音楽で、とうていCDでは表現しきれないものなのだが、一端はかいま見ることができる。
 
 そもそも音楽之友社刊「名盤大全 交響曲編」によると、ブライアンの第1交響曲「ゴシック」が、ギlスブックに最も演奏時間の長い交響曲、最も長大な総譜、ということで載っているらしい。それは全2部、2時間にもおよぶ壮大なもので、2群のオーケストラ、児童合唱、ブラス別動隊、4人の声楽ソリスト、7つの合唱団が奏でる、折衷様式のいろいろな音楽の集合体らしい。聴いたことないけど。
 みなさんは、そのブライアンの交響曲を規模においても演奏時間においても(おそらく内容においても)遥かに超える管弦楽曲が現代日本にあるとしたら、信じられるだろうか!?!?
 この水野の交響的変容は、聴いて驚くなかれ、全4部、演奏時間3時間、大オーケストラ、ビッグバンド、6群の混声合唱(少なくとも500人)、電子楽器、ソプラノソロ、和太鼓合奏、ティンパニソロ、合唱指揮にオケの正副指揮者3人という、前代未聞、驚天動地、疾風怒濤、天下無敵、ワーグナーのオペラばりの怪物交響楽だ。作曲者はこれを大きな交響曲と呼んでいるが、じっさいに○番交響曲として作曲されれば、ブライアンを超えてギネスに載ること間ちがいなし!!
 
 概要をまず説明すると、交響的変容は26年をかけて第1部から4部まで作曲された。内容はほぼ20世紀の諸音楽を網羅しており、時に俯瞰的に、時に近接して表現される。作曲年代は962〜1987となっている。1部から3部まではとぎれのない1楽章形式の管弦楽曲で、それぞれ副題とテーマがある。4部は合唱が入り、4部だけで6楽章に別れている。しかも6群の合唱がマーラー(ファウスト)だの法華経だのハミングだの東南アジアの民謡だのを同時に歌いだすのだ!!
 この神をも恐れぬ音楽は、マーラーの第8交響曲を超える、超記念碑的な交響曲として記録され記憶され続けるだろう。でも全曲演奏の再演は難しそうだなあ。 
 くわしく聴き進めてゆこう。長いんだけど、テーマごとに各部が別れているし、ジャズ好きの水野が大胆にビッグバンドも取り入れているので、これが飽きない。面白い。さすがに3時間一気は、休みの日とかでないと無理だろうけど、非常に聴きやすいです。
交響的変容 第1部「テュッティの変容」(24分)
 作曲者の言葉を借りると 「中間部に弦楽をはさんだ、オーケストラの全合奏と大規模なサウンドの変容」 を表現している。変容とは変奏よりもっと自由で規模の大きいものと解されている。とにかく総奏により、めくるめく巨大で厚い響きの蠢く様子が、執拗に描かれている。 シュトラウスのツァラトゥストラは〜を彷彿とさせる壮大なるオープニングから、まさに哲学の大路を往くがごときサウンせる。
 カオスが再現され、3部のビートリズムへの導入を思わせるビッグバンドも登場し、景気をつける。静かに風景は遠くなり、名残の鈴 ここでは一転して明確な調性となり、線の長い、無限旋律がいつまでも甘美に流れる。バイオリンのソロを中心に弦楽群がこれでもかと奏でる響きは、ワーグナーかマーラーが現代へ蘇ったかのようだ。それにしてもこの旋律は愛らしく、センチメンタルたっぷりで、とても微笑ましい。半音進行する部分もあり、やがて来る不安を現しているようだ。後半はそのまま1部を彷彿とさせる緊張感が心地よい。
 
交響的変容 第3部「ビートリズムの変容」(27分)
 アフリカで生まれ、ジャズやロック、ポップスの元になった独特のリズムを作者はあえてビートリズムと呼び、単なる拍の概念と厳格に区別している。ジャズの和声に惹かれたという水野は、ここでジャズのリズムにも傾倒してることを惜しげもなく露呈している。ジャズオーケストラのための作品も書いている水野らしく、リズムの原動力たるドラムスを含んだビッグバンドがダイナミックに活躍し、ティンパニと和太鼓のソロが縦横無尽にリズムの饗宴を主宰する。交響的変容 第4部「合唱とオーケストラによる変容」(116分)
 (各章へ仮にタイトルをつけると以下の通りだそうです。)
  第1章「予感」(9分)
  第2章「核と原爆への恐れ」(4分)
  第3章「原爆の章」(31分)
 (ここで休憩が入ってもよい。)
  第4章「キリエ(神よあわれみ給え)とカオス」(15分)
  第5章「新しい生命と喜びへの讃歌」(20分)
  第6章「無常観と祈り」(37分)
 どうですこの怒濤のラインナップ!
 
 前半の1〜3章は無調様式による。1章はどこか西村朗のような、茫洋たる暗黒の中に金属打楽器がプリズム的に鳴り渡るという響きではじまり、それが巨大化して、やがて恐ろしいハミングも加わり、ホルストの海王星のようにも感じられ、そうするとまるで白色彗星の登場みたいだ。
 2章はクラスター技法により、原爆関連の詩がシリアスに歌われる。カオスと12音のここは、まさしくゲンダイオンガクで、20世紀の重要なワンシーンを事象からも音楽からも鋭く斬りとっている。
  
 3章は前半のクライマックスで、長大な緊張空間が表現されている。原爆体験が描かれ、ヴォーカリーズによる阿鼻叫喚が、混沌とした管弦楽の中で亡霊のようにさまよう。音というのは聴覚の不自由な方をのぞき、どのような場合においても事象における重要なファクターのひとつなのだということを再認識する。無調様式の実力発揮というところか。もの凄まじい迫力だ。激しいビートリズムの再現の後、終盤からは鎮魂歌へと変容し、永遠の魂の安らぎと怒りを深く湛える。
 後半部は一転して無調の嵐より調性音楽へ回帰をみせる。原爆により傷ついた現代人は、救いと気付けを求めているのだ。(癒しなんかまやかしだ!?)
 
 4章はひと言でいうとまるで超アイヴズ!!
 最大6群の合唱と3群のオーケストラ(指揮者は9人ですって。奏者の中から臨時の指揮が出るのかな?)が現代都市の反乱する音の洪水さながら、ワーグナーから12音からキリエから、東南アジアの民謡、原爆の詩、めちゃくちゃ。凄まじい。おそるべし。それが次第に集約され、最後は、「日本の追分ふうなボーカリーズに収斂しユニゾンで歌いながら合唱は席に戻る。」(水野)
 シアターピースにもなっているんですね。さすが柴田南雄の弟子?
 5賞と6章はいよいよ巨大な交響的変容の終着点となる。合唱と管弦楽により滔々と大河の流れる様のように音楽は流れる。
 
 5章は7つの部分から成り立ち、合唱が続けざまに歌い継いでゆく。その様相がまさに変容ということになろう。
 幽玄の奥よりかすかに響いてくるのは、まず、法華経。その後、やや音量を強くした無言のハミングが間奏の代わりとなる。作曲者の作らしき詩。アニュスデイ。ヴォーカリーズ、ヴォーカリーズ、フーガと続く。後半では第1部の響きも聴こえてき、カオスも登場する。
 5章は、大きな、本当に大きな6章の前奏とも云えよう。40分に近い膨大な規模の第6章こそ、3時間にもおよぶ全変容の帰結するところである。 終曲は8つの部分からなる合唱と管弦楽の変容。再び法華経が聴かれるが、2群の合唱によって男声が法華経、女声が作者作の現代詩と歌われる。その部分はオーケストラの伴奏も相まってとても美しい。それからなんとマーラー第8交響曲からの引用があり、ソプラノソロが登場する。ここでソプラノは、「グレートヒェンが歌いながら天から舞い降りてくるイメージ」 を高らかに歌う。ここの部分は(前にも似たような雰囲気があったが。)とても松本零次のアニメみたい。つまり宮川奏か。
 ソロは無言歌で、その無言歌を合唱が受けて、オーケストラと共に「テゥッティの変容」(1部から3部までが同時に変容されている。)を形作る。ここいらはまた多分にアイヴズ的なカオスであり、情報が、発した本人の人間たちまで混乱し狂乱するほど氾濫している20世紀から21世紀の社会にあって、よく表現していると思う。それから法華経とファウストの同時進行という、おそるべきまでに大胆不敵な部分へ突入する。分厚い響きが合唱といっしょにじわじわと積み重なり、やがて頂点に達すると、変容第1部冒頭が再現される。あの輝かしい人類の夜明け〜〜ッ! という、壮大な音響に、今回は合唱までついているから、いうことはない。
 いよいよ8つめの部分において、大コーダが開始される。壮大な絵巻も、ついに終わりを迎える。この音楽を聴いて、「無限に広がる大宇宙」を思い浮かべない人はいないような気がする。もしくは、人間普遍の、大きな精神文化か。
 
 大きく賛美が終わると、またも法華経とミサが同時に鳴って、やがて終わりを告げる。
 このように巨大で膨大な音楽ではあるが、非常に構成的で、かつ、旋律・展開共にとても分かりやすいため、意外に苦なく聴ける。また何度でも聴いてみたいと思わせる楽しい部分、美しい部分、苦しい部分、まさに人生模様が随所にあり、人間くさいナマの音楽、マーラーに通じる人間讃歌と云っていい。
 しかしとんでもない音楽だ。こういう音楽を聴けるだけで、なんかワタシはとても心が充足した、満ち足りた気分になってしまう。音楽的な価値とか、意義とか、そういうものよりも、とにかく、楽しいし、面白いし、きれいだし、わくわくして、なんかとっても、素敵だと思った。
 水野の交響詩の解説において、水野は日本のマーラーだ、という一文が「名曲大全 管弦楽曲編」にあったが、既に持っていた2番交響曲と交響詩「夏」だけでは、そのようなイメージはわかなかったが、交響曲の前にこんなまさに21世紀のマーラーというべき作品があったのでは、その説にはおおいに賛同する次第だ。それは規模だけではなく、周囲の音楽を大胆に取り入れる手法、大規模な管弦楽と構成力、メロディアスな懐古さと現代的なサウンドの融合、世紀を跨ぐにあたりよく過去と未来をつないでいる様といい、それぞれどの部分をとっても、そう思える。ちがうのは、マーラーのように暗くないだけだ。ここにあるのは、全体的にとてつもない陽の気、つまり太陽に他ならない。
※ このCDは非売品のプライベート盤ですが、水野先生のホームページで直接購入できます。興味のある方は検索してみてください。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/5235/zakki5.htm より引用


美女と野獣 投稿者:Ms. Y.M 2004/06/30

専門的なことはわかりませんが、とにかく楽しませていただきました。
 先生の講義で聞かせていただいた、和太鼓の音や、ポインターシスターズの
 ライブがよみがえってきました。素敵なひとときをありがとうございました。
 お体に気をつけてますますのご活躍を期待しています!!

天守物語(投稿日2003年... 投稿者:薄さま 投稿日:2004/02/23(Mon) 17:28 No.3

(^0^)/ こんにちは♪
はじめまして  (でも、何度か訪問はしています。)
原作の物語は一読では言葉のせいもあって難解なストーリーですが、それをテキスト
のまま作曲されたのは凄い事だと思いました。
演出と舞台装置も何度も再演されているだけあって魅力でした。
10月には天守物語が好評に終わり出演者(脇役で空から釣られていました)として
も、うれしいです。\(=^O^=)/
初めての本格的な日本物のオペラで全てが新しく感じる事ばかりでした。
最初は記譜法で、それから、楽譜をどのように歌うかという事、そして、最後は作法
に悩みました。ドウシマショウーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pドウスルノ?
公演終了後、朝日新聞に富姫と図書之助の綺麗な写真と共にお褒めの言葉が掲載され
ていました。(*^_^*)ニッコリ♪
また、ロマンチックな日本オペラを作曲してくださいね。☆ミヾ(=^_^=)ノ彡こんど
は朱の磐坊のように沢山歌える役をやってみたいです。(でも、朱の磐坊、お稽古の
時、いつもゼ ̄^ゼ ̄ ̄いっていました。踊りながらでかなり、酸欠状態、、、、、それ
と引き換えに目立ってるんだからしょうがないですね)
お知りあいのHPに感想があります。
http://getupsy.hp.infoseek.co.jp/TEISHU/diary2002.html

初演10周年記念カキコ! ... 投稿者:投稿者:はぎはぎ 投稿日:2002/09/20 No.2

度々チェックしておりましたが、初カキコします。
今日はあの記念碑的大作「交響的変容」全4部が初演されてから、
ちょうと10年目の日です!
私は運良く初演の場に居合わせることができましたが、10年たった今も
あの鮮烈な感動を忘れることができません。
できれば生きているうちにもう一度くらい、第4部を生で聴きたいと
思いますが、無理かなあ?(^^;)
先生、これからも今までと同様、どうぞバリバリ元気でご活躍を!!
水野修孝ネタ話  投稿者:site ShukoMizuno管理人 投稿日:2004/02/23(Mon) 17:19 No.1

ネターその1
http://music.2ch.net/classical/kako/1010/10104/1010422827.html
ネタその2
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/music/6581/1067194427/l100